ポピュリズムとリベラルデモクラシーの関係性について考える
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こんにちは。今回は、ファビオ・ウォルケンシュタインの論文「Populism, liberal democracy and the ethics of peoplehood」1を基に、ポピュリズムとリベラルデモクラシーの関係性について一緒に考えていきたいと思います。
ポピュリズムに対する一般的な認識
ポピュリズムと聞くと、多くの人はネガティブなイメージをもつのではないでしょうか。近年、右派ポピュリズムの台頭が話題になることが多く、トランプ政権やBrexitなどがその代表例として挙げられます。
この論文によると、リベラルデモクラシーを擁護する人々のポピュリズムへの批判には、主にふたつの点があるそうです。
- Anti-pluralist(反多元主義的)である
- Anti-proceduralist(反手続き主義的)である
つまり、ポピュリズムは特定の集団を排除し、直接民主制を好むことで、リベラルデモクラシーの原則に反するというわけです。
リベラルなポピュリズムの可能性
しかし、この論文の目的は、ポピュリズムのリベラルな側面を探求することにあります。ポピュリズムそのものが悪いわけではなく、リベラルデモクラシーと両立できる部分もあるというのです。
リベラルなポピュリズムの条件として、次の三点が挙げられています。
- 民主統合という政治以前の根拠に頼ってはいけない
- 外部性問題(externality problem)に官能的である
- 国民の外部から正当化の要求に応答的である
つまり、ポピュリズムが特定の集団をアプリオリに “the people”(人民)と定義するのではなく、政治的な議論の中で “the people” を形成し、その線引きに対しても内外から説明責任を果たし、変更可能性を担保する必要があるというのです。
この条件を満たすポピュリズムの例として、論文ではスコットランドのナショナリズムが挙げられています。スコットランドのナショナリズムは、歴史的に曖昧な境界に関して政治的正当化が必要とされており、ここでリベラルな意味でのポピュリズムが魅力を持っているとされます。
ポピュリズムの意義と可能性
ただし、リベラルなポピュリズムの条件を満たすだけでは、ポピュリズムの積極的な意義を示したことにはなりません。ポピュリズムそれ自体に重要な価値があることを示さなければ、そもそもポピュリズムを擁護する意味が判然としないようにも思われます。
ひとつの可能性として、リベラルなポピュリズムがグローバル化の流れに適切に抗する道筋を提供するという見方ができるかもしれません。グローバル化には、国境やその他の境界の意味を薄くし、多元的な価値の衝突を調停し包摂する必要があるという特徴があります。
しかし、リベラルなポピュリズムは、境界が曖昧な世界観で多元性を最大限包摂することを試みるのではなく、リベラルな仕方で敢えて境界を強調し、世界に新たな線を引いていくという方向性を示唆するのかもしれません。
たとえば、政治における効率性を理由に、言語的共通性を市民権の条件とすることは、自然的根拠とは異なり、批判に開かれているという意味ではリベラルな区別だといえるでしょう。このように、リベラルなポピュリズムは、新たな区別・境界を作っていく道筋を提供するものと解釈できるかもしれません。
まとめ
ポピュリズムとリベラルデモクラシーの関係性は、単純に対立的なものではありません。ポピュリズムの中にも、リベラルデモクラシーと両立可能な形態があり得るのです。
ただし、リベラルなポピュリズムの意義や可能性については、まだ議論の余地があります。グローバル化に抗する新たな道筋を提供するものなのか、それとも別の積極的な価値があるのか。
ポピュリズムとリベラルデモクラシーの関係性は、現代政治を考える上で避けて通れないテーマです。皆さんは、どのように考えますか?ぜひコメント欄で感想をお聞かせください。
Footnotes
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Wolkenstein, Fabio. “Populism, Liberal Democracy and the Ethics of Peoplehood”. European Journal of Political Theory 18, no. 3 (July 2019): 330–48. https://doi.org/10.1177/1474885116677901. ↩