社会人を経てから大学院へ行くということ
「仕事をすでにしているのにどうしてわざわざ大学院に行くのか」
社会人から大学院に戻るという話をすれば、そうした疑問を投げかけられるものである。これまで何人かの友達に報告しても、必ず聞かれる質問だ。
ということで、今回はこれをテーマにして書いていこうと思う。
「なぜ大学院に進学するのか」
と問われれば、
「突き詰めたいテーマが見つかったから」
と僕は答える。
世の論調として、大学や大学院は得てして就職に有利だとかスキルが身につくだとか有用性という点からしか語られない。
その意味でいえば、まったく今回の大学院進学が役に立つとは思っていない。むしろキャリアという意味ではブランクになるのでマイナスでしかないとさえ思う。
僕は単純に、突き詰めたいテーマと向き合うための時間と環境を手に入れるために大学院へ進学するのである。
イメージでいうと、趣味や娯楽が近いのかもしれない。まるまる 2 年間という時間と年間 70 万円の学費を生贄に捧げることで得られる、最高の娯楽のようなもの。世界一周旅行がいつかしたい! というのを実現するのと大して変わらないのだと思う。そこに役に立つとか立たないとかは関係ないのである。
MBA とかコンピューターサイエンスをスキルアップのためにと学びに行くこと自体が悪いとは思わない。
でも、有用性は度外視して、自分の興味と向き合い深めるという選択肢がもう少し広く一般に認められてもいいような気もしている。
社会人になってからの学びというと、ビジネス書に始まるノウハウのような知識だけが学びかのように錯覚しがちである。仕事に役立つスキル、お金になるノウハウに価値があり、それ以外は学ぶに値しない無用なものであると意識せずに切り捨てられることが多いように感じる。
そうして知らず知らずのうちに、「お金を稼ぐ」「社会的地位を得る」ことだけに囚われてしまっているような、そんな感覚に僕自身が毒されている嫌悪感がどこかあったのだろう。
そんな状況を打破するために、素直に自分の興味と向き合って、それを実現するという選択をしたくなったのかもしれない。
一度社会人になり、大学というモラトリアムを失って、ありがたさに気づけている今だからこそ、進学することに価値があるのだと思っている。
「大学院進学したいけど、もう遅いしなぁ…」
そう思っているときこそ、大学院を活かせる最高のタイミングなのかもしれない。