飽き性の頭の中

大学院修士課程2年目を振り返って - よかったと思うこと

大学院修士課程2年目を振り返って - よかったと思うこと

tawachan
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こんにちは、たわです。今回は、大学院修士課程2年目を振り返り、社会人から大学院に戻ってよかったと感じたことを話していきたいと思います。

思考の枠組みができてきた

まず1つ目は、自分なりの思考の枠組みができてきたことです。たった1年ですが、社会の見方や専門的な議論の観点から現象を捉えられるようになってきました。

私の専門である政治哲学では、正義や平等、民主主義のあり方などを議論します。この理論的枠組みを通して、現実の社会運動やニュースを見ると、新しい視点が生まれてきます。

もちろん、学部からずっと同じ専門を学んできた人と比べれば、まだまだ浅いかもしれません。それでも、ずっと仕事を続けていたら得られなかったであろう視座を得られたのは、大学院に来た成果だと感じています。

社会との関わり方を再考できた

2つ目は、自分が社会とどう関わっていくかを再考するきっかけになったことです。

政治哲学の議論を通して、立法や行政、民間企業などの役割や課題を理解できるようになりました。この全体像の中で、自分はどこに位置付けられるのか、どこなら自分の力を発揮できるのかを考える材料が増えたのです。

これは社会科学系の大学院ならではの学びだと思います。ずっとIT系の仕事を続けていたら、なかなかこのような視点は得られなかったでしょう。

キャリアアップに直結するスキルではないかもしれませんが、これから何をしていくのか、どんな活動なら自分や社会にとって意義があるのかを考える上で、大いに役立つ知見だと感じています。

わからない状態を受け入れる姿勢が身についた

最後に、わからない状態を当たり前のものとして受け入れる姿勢が身についたことが挙げられます。

特に政治哲学のような規範理論の議論では、当たり前と思われていることにも疑問が呈されます。白黒つけられない状態が常態化するのです。

はじめは居心地の悪さを感じましたが、次第に、物事が簡単には決まらないものだと認識できるようになりました。この「わからなさ」を受け入れる姿勢は、現代社会を生きる上で重要なスタンスだと思うのです。

ただし、わからないままでは先に進めません。そこから何とか論証のポイントを見出していくことが、修士論文を書く上での課題となっています。

わからなさを認めつつ、その中で何が分かるのかを模索する。その難しさに直面することも、大学院生ならではの経験だと感じています。

まとめ

大学院に来てよかったと感じることは、思考の枠組みの形成、社会との関わり方の再考、わからない状態を受け入れる姿勢など、多岐にわたります。

もちろん、研究の難しさに直面することも多々あります。それでも、この2年間で得られた学びと経験は、社会人として働いていたままでは得られなかったものばかりです。

大学院への進学は、キャリアの寄り道のように見えるかもしれません。しかし、そこで得られる知見や姿勢は、長い人生の中できっと活きてくるはずです。

今後も、この学びを糧に、自分なりの道を模索していきたいと思います。

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