飽き性の頭の中

この世界はどこまで行っても自分の周りの延長なのだとなぜ誰も教えてくれなかったのか

この世界はどこまで行っても自分の周りの延長なのだとなぜ誰も教えてくれなかったのか

tawachan
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この世界はどこまで行っても自分の周りの延長なのだとなぜ誰も教えてくれなかったのか

最近、どのようなわけかそう思うようになってきた。何を見てもそう感じる。たとえば、歴史を見てもそうだ。COVID-19 に対する各国の対応を見てもそうだ。

今までは、そうした国や社会や一会社を動かすようなことは何か特別な、別世界のもののように思ってきた。それが社会というものの接点が薄い学生時代もそうだし、働き始めて接点を持ち始めてからもそうだ。

彼らはプロで僕らは素人。何か特別なものでありある段階に至ったひとにしかできないものだと。それ故どこかはなから自分とは関係のない世界のことだと認識している節があった。

中学生、高校生のときにある程度歴史は勉強したし、大学に入ってからも政治学や経済学を学ぶ中でどのように先人の知恵により問題が解決されたりされなかったりして今に至るのかは雰囲気把握しているつもりだ。

それでもやはり、これはなにか特別なもので、自分がそれに関わるなんて到底できないし、まして先導するなんてことがあるわけがないと思うのが常なのであった。

しかし最近、そうした人たちと何でもない僕たちとの間に、差なんてそんなにないのではと感じるようになってきた。頭で理解するとかではなく半ば実感に近い形でそう思うのである。

イメージでいうと、学校のクラスや部活で文化祭の出し物を出す必要があるときに、

  • 団結して試行錯誤して素晴らしい出し物が出せるクラス
  • 頑張ったけれどうまく行かなかったクラス
  • 端からめんどくさいから適当にやり過ごしたクラス

といったバリエーションがあるのとほぼ同じように、世の中の企業の中にも

  • 努力した結果売上が伸びた会社
  • 頑張ったけれど失敗した会社
  • さまざまな問題を野放しにしているブラック企業

といったバリエーションが生まれているに過ぎないのでは、と。

環境や若干の資金規模の違いはあれど、それを実行している人という意味ではほとんど差がないのではないだろうか。だから文化祭等でうまく立ち振る舞った経験が就活のときに評価されたりするのは、所詮学生のお遊びに見えながら実際にはほとんど同じだからなのではと思うのである。

体罰とまではいわなくともクラスの担任側が何らかの理由で特定の生徒に対して嫌がらせをして問題になることがあるが、それくらいの感覚で独裁国家が生まれていたり軍事国家が圧政を敷いていたりするのであろう。それがたまたま 1 つの学校を任された担任教師と国家を任された代表であるという違いでしかない(もちろんそんな人が国の代表になれるという制度側の問題は今でこそ指摘できるだろうが、個人そのものの性質という意味では差はない気がする)。

だから教科書で見るような人たちが特別すごかったり、悪事を働いた人たちが特別悪かったりするわけでもないと思う。振り返れば結果的に素晴らしかったり残虐だったりするだけで、その人達そのものが特別我々とは違う何かを持っていたわけではおそらくない。つまり、クラスで優等生になったり人気ものになったり問題児になるくらいの感じで社会や世界におけるそれになることも十分あり得るということなのかと思う。

社会に出れば、若気の至りというか学生気分として揶揄されるようなさまざまな問題がなくなり、合理的な行動の集まりとして社会が成立していて、そうした振る舞いができないと困るくらいのものだと思っていたところがある。しかし、実際に出てみると若気の至りという状態そのままに社会に存在している大人の方が多いし、それはさながら学校のクラスそのままといった状況ではないだろうか。

クラスの優等生になるもいいし、先生に気に入られてしれっと損をしたい美味しいポジションを勝ち取るでもいいし、不登校になって別のことに励むでもよい。在り方は千差万別であり、そこに明確な良し悪しはない。

結局は素人が何かをした結果の集まりとしての学校(成果・問題も含め)があるのと同じで、この社会もまたそうした素人が培ってきた成功と失敗の結果でしかないのであろう。一部のプロによるものではない、誰でもない素人が泥臭くなんとかしてきたものが結果的に素晴らしいものになり、あとから振り返って最初からプロであったように見える、そんな感じなのかなと思ったのである。

そう思うと COVID-19 であたふたする各国の対応を見て批判する気にもなれない。

高校生活 3 年間のうちに抜き打ちテストがあるから準備しておくようにと入学時にいわれていたからと、突然テストされてちゃんと満点を取れるように準備する人は多くないだろう。コロナほど抜き打ちな社会問題もなかなかないだろう。

テストと政治はぜんぜん違う、それでも準備できる人じゃないと政治家としてふさわしくない! という人がいるかもしれない。でも勉強は学生の本分だとすれば抜き打ちテストだろうと万全を期して望めるよう日頃勉強しておくことが当然のように求められると思うがおそらくそれは納得する人は多くない。

話がまとまらなくなってきたが、要するに何をしている人も結局同じ人間なのであろうということである。真面目なやつもいればサボるやつもいる、自分の周りを見渡せば当たり前の事実が、そうしたプロのように見える世界にもきっとある。素晴らしい人に誰でもなろうと思えばなれるし、劣悪に批判を飛ばす対象のような行動を自分も同じ状況になれば平気でするくらい同じ人なのだということを、もっと早く感じたかった。というお話でした。

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