純粋な学問への興味だけで大学院に進学するのは難しい?- 知識欲と研究意欲の違いについて考える
Table Of Contents
※ この記事は、YouTube動画を文字起こししたものをClaudeで編集したものです。
今回は、学部卒で社会人経験を積んだ後、改めて大学院進学を考える人向けに、知識欲と研究意欲の違いについて考えてみたい。
私自身、学部卒業後にソフトウェア開発の仕事をしていたが、政治哲学への興味から大学院に進学した。その経験から、純粋な学問への興味だけでは、研究中心の大学院生活は厳しいのではないかという質問をいただいた。
知識欲と研究意欲の違い
質問者の方は、論文や書籍を読んで新しい知識を得ることは好きだが、自ら研究して論文を執筆することには躊躇を感じているようである。これは、知識欲と研究意欲の違いといえるだろう。
知識欲とは、新しいことを学び、知識を吸収することへの欲求である。一方、研究意欲とは、自ら問いを立て、調査・分析を行い、新しい知見を生み出すことへの欲求である。
確かに、大学院では研究活動がより重視される。修士論文の執筆は修了要件のひとつであり、自ら研究テーマを設定し、研究を遂行する必要がある。その意味では、研究意欲は大学院生活において重要な要素といえるだろう。
研究意欲がなくても大学院に行く価値はある
しかし、研究意欲が弱くても、大学院進学に意義はあると私は考える。
まず、大学院では知識欲を満たす機会が豊富にある。それも、単に本を読むだけでなく、体系的に知識を学び、批判的に吟味する力を養うことができる。学部での学びとは質的に異なる知的経験が得られるだろう。
また、研究テーマは最初から明確である必要はない。むしろ、知識を深める過程で、自然と関心が特定の分野に絞られ、研究テーマが見えてくるものである。完璧な研究計画を立ててから大学院に進学しなければならないわけではない。
さらにいえば、修士課程は研究者養成だけが目的ではない。高度専門職業人の養成も重要な役割である。知識を体系的に学ぶ力や、批判的に思考する力は、研究職以外のキャリアでも役立つはずである。
まとめ
純粋な学問への興味は、大学院進学の立派な動機である。研究意欲がそれほど強くなくても、知識欲を満たし、思考力を鍛える場として、大学院は大きな意義をもつ。
もちろん、研究活動は大学院生活の重要な要素であるが、最初から完璧である必要はない。知的好奇心を大切にしながら、徐々に研究テーマを絞り込んでいけばよいのである。
学部卒の社会人経験者が大学院に進むことは、キャリアの選択肢を広げる意味でも価値がある。ぜひ、大学院進学に挑戦してみてはいかがだろうか。