飽き性の頭の中

バイアス下の意思決定理論――ダニエル・カーネマン

tawachan
tawachan

はじめに

前回の投稿から早くも2ヶ月が空いてしまったが、久しぶりに書いてみることにする。ちなみに、最近の関心や講義の内容などなどの継ぎ合わせのようなものであることをあらかじめ断っておく。

まず、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者であり行動経済学者であるダニエル・カーネマンを引用し、ヒトのもつバイアスについて言及し、その後、個人の合理性を前提とする社会的意思決定について触れる。これを書くことで、実際に合理的でない個人を主張する議論とあくまで合理性を前提とする経済学の議論に関する知識を有機的に結合し、今後のゼミでの研究をする際の些細な視点として意味があればよいと思っている。

システム1とシステム2

ダニエル・カーネマンは著書『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」の中で、ヒトの脳の中には 2 つのシステム(システム1とシステム2)が存在していると説明している。カーネマンによると、その 2 つのシステムを用いて、さまざまな判断や選択を我々は行っている。

システム1は「自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。また、自分のほうからコントロールしている感覚は一切ない」簡単にいえば、直感のようなもので、瞬時に物事を判断する際はこちらのシステムが作用している。

対してシステム2は、「複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。システム2の働きは、代理、選択、集中などの主観的経験と関連づけられることが多い」これは、論理思考能力を備えているシステムであり、従来の想定である合理性を司るシステムと考えてもいいだろう。

そして、ヒトの両システムの使い分けについては次のようである。両システムの割合は人により差異はあるが、基本的にシステム2は怠け者で、システム1に頼りがちである。たとえば、「大学にはサークルに所属している学生の割合はいくつか」という質問をされたとしよう。本来であれば、大学全体の人数や全サークルの所属人数やサークル間の重複の有無などを考慮して的確に導かなければならない。しかし、実際に多くの人が行うプロセスは、自分の身近にいる友だちがどれくらいサークルに入っているかを想像し、「95%以上の人が何かしらのサークルには入っている!」などと回答するだろう。この場合、この回答は論理思考を司るシステム2ではなく、システム1が機能している。実は、システム1は複雑なこの問題を瞬時にかつ無意識に「友達の中でサークルに入っているのは何%くらいだろう」に質問を置き換え、それに答えているのだ。この置換えは、システム2が怠け者であるから生じる現象であり、さまざまな質問に対して起こる。

つまり、ヒトの脳は、合理的な判断を行うシステム2の使用をサボり、システム1による直感的な判断に頼りがちであるので、しばしばバイアスが生じる。そこで、これからヒトの脳が起こすバイアスについていくつか説明する。

ヒトの脳が起こすバイアス

単純接触効果

単純接触効果とは、反復が認知を容易にし、なじみがあるという心地よい感覚を与える効果のことである。例え、あまりに短時間でその反復を見たことに気づいていなくても、この効果は生じる。この印象を形成しているのはシステム1であり、システム2が知覚していなくても、むしろ知覚していないときのほうが刺激が強い。

ハロー効果

これは最初の印象がその後に新たに追加された情報にも影響する効果である。つまり、最初にいい印象を持った人に関する情報は、すべて好ましく映る。ちなみに、この逆もしかりである。悪い印象を持った人は、何をしてもその後いい印象を持たない。たとえば、容姿端麗な政治家であれば、発言にも魅力的であり、説得的な印象をもつ。一度失言して干された政治家であれば、何を言おうと胡散臭くしか聞こえないようなものである。

アンカリング効果

アンカリング効果は、「ある未知の数値を見積もる前に何らかの特定の数値を示されると〔中略〕見積はその特定の数値の近くにとどまったまま、どうしても離れることが出来な」くなる現象のことである。たとえば、「日本にいる喫煙者の割合はいくつか」という質問を考える。質問前に、特に質問とか関係ないが 10 という数字を見せるか、40 という数字を見せるかだけで、回答結果の平均が変わる。10 を見せられたグループは 10 に引き寄せられ、40 を見せられたグループより低い割合を答えるだろう。40 を見せられたグループは 40 に近い結果となる。

バイアスの意思決定理論への影響

意思決定理論では、個人の意思を集約して社会の意思を決定する方法論について議論する。身近なところでいえば、クラスでの多数決や選挙がこの意思決定に当たる。どんなに簡単な集団の意思決定においても、個人の選好表明に関しての合理性は前提とされている。

意思決定の理論の1つに、アローの社会的選択理論というものがある。これは個人が想定されるあらゆる社会状態に対して選好を持ち、それらをすべて順序付けられることを想定し、集団の全個人の選好順序のプロファイルを集計して、社会的な意思決定を行うことを考える理論である。しかし、アローの想定した公理を満たす集計方法は、存在しないことが証明されてしまっている(=アローの一般不可能性定理)。

ここで暗に前提とされていることとして、個人の選好の絶対視があると考えられる。個人の選好順序のプロファイルは独立変数であり、各々の選好というのは尊重され評価されるべきものであるということである。そうであるからこそ、すべての個人のプロファイルを集約する方法を模索するのであろう。しかし、実際万人の意思は評価に値するものなのであろうか。

個人の選好順序の価値

個人の選好順序の価値は、個人が他人に影響されず独立に選好順序を形成するからこそ意味のあるものであると考える。しかし、3章で紹介したいくつかのバイアスの存在を考えると、これは少し疑わしくなってくる。

個人の選好順序は独立変数ではなく従属変数ではないだろうか。つまり、個人は選好順序を独立に形成しているのではなく、外部から操作が可能だということである。

たとえば、私たちが国政選挙で誰に投票するかを考える際、マニフェストなどの情報を元に、客観的かつ合理的に判断できるだろうか。メディアによる反復報道による単純接触効果や、番組やニュースの特集によるハロー効果(プラス面でもマイナス面でも)などが生じていないと言い切ることが可能であろうか。もし、このような影響に個人の選好順序がさらされているとするならば、膨大な集計コストをかけてまで、万人の選好順序を考慮する必要はないかもしれない。

【追記】プライミング効果は無意識でも生じる。カーネマンが著書の中で触れている研究で次のことが紹介されている。アリゾナ州の学校の基金を増やす政策に対する選挙で、学校が会場で投票した人のほうが、それ以外の場所で投票した人に比べて、支持する人が多かった。有権者は会場が学校であることを意識して投票行動を取ったとは考えにくいが、実際に行動として差が現れている。よって、知覚していなくてもシステム1が”学校”という情報をプライムとして行動に影響を及ぼしてしまう。

未成年状態からの脱却? ── カント『啓蒙とは何か』

理性的ではない個人に選挙権を与えない、という議論からはカントが思い出されよう。他者の考え方に依存している他律状態は、未成年状態であり、まだ政治的市民権を有さないとされる。つまり、他者の考えによらず自律的に思考出来、かつそれを公共的に使用できてはじめて政治的権利を得る。そしてこの状態へと導くことが啓蒙である。

バイアスにより影響され客観的に判断できないことと、思考の他律により理性的判断が出来ないことを重ねて考えてみた。これを似た状態と判断できるのであれば、バイアスの影響下に置かれた選好についても、社会的意思決定の変数として考慮する必要性がないとする根拠の1つになるかもしれない。

しかし、決定的な差が1つある。それは、バイアスは不可避であるということである。カントのいう理性の他律であれば、啓蒙により自律した理性へと導くことができるとしている。しかし、バイアスの場合は、ヒトのもつ脳の性質の問題であり、これは生物進化の過程で数百年、数千年後に変わる可能性があるかもしれない、程度の話である。啓蒙しても解消される問題ではない。

バイアス下の意思決定理論

以上の議論で、バイアスが万人に存在していることと、自律的思考ができていない人は選好を評価する必要がないことが示唆された。これを正しいと仮定すれば、バイアスのない選好順序のプロファイルは存在しないので、誰のプロファイルも考慮できないことになってしまう。しかし、バイアスにより、選好順序が変化して同質化している可能性がある中コストをかけて集計する必要性は疑う価値はあるだろう。

集計時のバイアス消去

カーネマンはヒトのもつシステム1のもたらす非合理的な判断について、バイアスのパターンを知ることの重要性を述べている。システム1の作用にはパターンがあり、それを認識することでそれに幾分か対処できるとしている。そこでそのパターンから、バイアスの効果を推定し、その効果分を除去して社会的意思の形成を行う方法が考えられよう。しかし、問題としては、その効果の推定に不確定要素が多いことと、影響の除去が恣意的になり、社会的意思の操作可能性を与えかねないことである。

ランダムサンプリング

評価する個人をランダマイズすれば、考慮する個人の数を減らすことができて、バイアスの影響も消去できるような気がしたけれど、実際まったくそうではないだろう。ある現象を説明する際に、特定したい原因以外の条件による影響を消去するためにランダム化する手法があると思うが、それとこれは話が違ったので、まったくもってこれは解決にならない。まったく関係ないが、最近統計が授業で多いため、関係あるような気がしてしまったことも認知バイアスかもしれない(単純に勉強不足)。

おわりに

本稿では、人間の判断には直感的な判断によるバイアスが生じていることと、それに伴い、意思決定理論に少し触れた。

社会的選択理論などはさまざまな複雑な条件を捨象してもさまざまなパラドックスが存在し、理論上もうまく説明できていない学問分野である。つまり、ヒトの非合理的な判断を今の段階で想定しても、事態をさらに複雑化させ、現存している学問的問題の答を遠のけるだけなので、本稿の指摘はあまり的を射たものであるとは思っていない。

しかし、理論がどのような現実を説明し、またどのような現実を説明していないのかを知っておくことは有用であろう。

参考文献

  • ダニエル・カーネマン(2012)『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?上』村井章子訳, 早川書房.
  • ダニエル・カーネマン(2012)『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?下』村井章子訳, 早川書房.
  • カント(2006)『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』中山元訳, 光文社.
  • 鈴村興太郎(2012)『社会的選択の理論・序説』東洋経済新報社.

関連記事