COVID-19が世界で大流行し歴史に残る大事であることは理解できるが偶然実感が持ちづらい状況であることについて
こんにちは、たわです。今回は今の所感についてです。
今コロナウィルスの発症者が日本でも増え始め、他の国と同じようにロックダウンをするのかしないのかという話になっているような状況でしょうか。
デマやさまざまな思惑があり情報が錯綜しているところもありかと思います**。どちらにせよ世界的にインパクトのある事象であり、歴史に残る一大事であることには誰でも相違ないでしょう**。
そんな中で、僕自身はなんといいますか、この事の重要性をあまり肌で感じられていない、というのも正直なところです。
多くの人は、実際にコロナに感染したというわけでなくても、出社が禁止となり代わりに在宅で働いたりというような形で生活が変わり、影響を実感するという場合もあるでしょう。
ですが、僕は幸か不幸かコロナが流行する数ヶ月前から自宅で働く形にしてしまったので、正直生活がまったく変わらないのです…。
2019 年の後半に会社を辞めて、スタートアップにジョインすると思いきやしばらくして色々あって、今はフリーのエンジニアとしてお家で粛々とお仕事をしたりしなかったりしています。
在宅で働き始めた人が感じているような、
- 家での作業環境(モニターがあると便利とか)
- 出社しなくていいから楽だけど朝がだらけがち、メリハリがない
- リモートでも工夫すれば案外仕事って周るよね
みたいはいざやってみた気づきとか感じているようなことは若干フライングして体感してしまっているのです…。しかも世相によりいきなり変わったのではなく自分で選んで徐々にそうしていったのでそこまで驚きはありませんでした。ただ Twitter でそうした発言を見て、「分かる、分かる」と眺めているような状況です。
なので、コロナが流行しても家に引きこもっていることには変わりないし、どこか他人事というか別の世界の話のような気がするのです。まさに自分が生きている時代に歴史的な出来事が起きているはずなのにここまで肌感・実感として感じられていないのはあまり褒められたものでもないような気さえしています。
そんなこともあり、気を抜けばささっと外に出てしまいそうで、実感がないながらも頭で理解してなんとか、
- 息抜きにスタバ行かないとか
- お気に入りの天ぷら屋さんに行かないとか
- この前借り始めてしまったコワーキングスペースに行かないとか
気をつけていかないとかなぁと戒めているところでもあります。
今日も今日とて明太子(今年初) pic.twitter.com/kCyeSfwDjX
— たわ (@tawachan39) January 26, 2020
実際に困る人がいて、中には亡くなられてしまう方もいるので、こうして大きな実感なく過ごせてしまっていることはむしろ幸福なことなのかもしれなせん。
ですが、こうした世界を大きく変化するような出来事の当事者でいられていない(いるはずではあるのだが)ことに少し物悲しさではないですが、少し後ろめたさみたいなものが感じられているのです。
なのでその代わりといってはですが、こうした現象が起きてしまった事実に対して
- どう対応していくのがよいのか
- 今後どう社会を作り上げていけばいいのか
こうした課題が長期的に問い直される機会にもなると思うので、腰を据えて見つめ直す時間にでもしようかなとふと思っております。