飽き性の頭の中

「Abundance」を読んで - 左派の新しい物語戦略について

「Abundance」を読んで - 左派の新しい物語戦略について

tawachan
tawachan
目次
  1. 読書の経緯
  2. 書籍概要
  3. 読んでみて印象に残ったこと
  4. 読了直後の感想
  5. 読んでみての感想

読書の経緯

右派には一定の思想的な背景を持ちながら一般の人も見聞きするところまで言説が届いている人1がちらほらいるが、左派にそれに近いプレイヤーがいるのかを友人に聞いて教えてもらった一冊。後で知ったのだが、本書はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストで1位を獲得するほどアメリカでは大きな話題を呼んでいるらしい。全然知らなかったが、それほど注目されている本だったようだ。

書籍概要

Ezra Klein2とDerek Thompson3による共著Abundance: How Progressives Can Win Back the Politics of Prosperity4は、2025年3月18日にAvid Reader Press(Simon & Schuster)から出版された。226ページの政治・経済書で、「私たちが望む未来を手に入れるには、必要なものをもっと建設し、発明する必要がある」という理念に基づいている。

著者らは「構築するリベラリズム」を提唱し、カリフォルニア州知事Gavin Newsomからは「民主党が読むべきもっとも重要な本の1つ」との評価を受けている5

読んでみて印象に残ったこと

左派の物語の矛盾について

この本でもっとも印象的だったのは、左派の物語の矛盾についての話だった。従来、左派は「Freedom(自由)」を掲げてきたが、それがあまり響かなくなっている。そこで著者らは「Abundance(豊かさ)」を新しい軸にしようと提案している。

いわれてみれば確かにそうで、「権利の保護」や「多様性の受け入れ」を謳う一方で、現実にはBlue state6で住宅不足により経済的に人々を締め出している。これではリベラルのメッセージが有権者に刺さらないのも当然だろう。

日本でも似たような状況がある。「多様性」や「包摂」を語る都市部ほど住宅コストが高く、結果的に若者や低所得者を排除する構造になっている。

手続きと帰結のねじれ

もう1つ印象的だったのは、「手続き主義vs帰結主義」の話。1970年代の問題を解決するために作られた規則や規制が、2020年代の問題(都市密度化や緑色エネルギープロジェクトなど)を解決するのを邪魔している、という指摘である。

政府や左派のアクションが左派的な帰結を妨げているという皮肉な状況は、確かにありえる話だ。環境アセスメントや都市計画の手続きが複雑すぎて、結果的に環境にいいプロジェクトが進まないことがある。さらに印象的だったのは、環境保護とは関係のない場面で、左派的な名目が実際には自分たちの周りに都合の悪い(好まない集合住宅など)開発を避けるための方便として活用され、不毛な手続きコストを生んでいるという指摘だった。

政治的な背景

本書が「Freedom」から「Abundance」へのナラティブ転換を提案している背景には、今が政治的な転換期にあるという認識があるようだ。ポストネオリベラル時代7の具体的内容がまだ決まっていない状況で、このタイミングでちゃんとナラティブを展開できるならいい流れかもしれない、という感じなのかな。

この「供給側解決」のアプローチは魅力的だが、実際の政策実装では環境や社会コストとのバランスが難しいだろう。しかし、政治的な物語としては確かに力強い。

特に、左派が権利主張一辺倒で、右派が拾いがちな現実に没落している中間層や経済的な困窮に対してのソリューションを考えられず、きれい事だけしか言っていないように見えがちな問題に対して、左派の側からアプローチしている点は興味深い。トランプを支持するわけではなくても、その論点に適切に左派が応答できていないという問題意識はあったので、左派の側からその論点に向き合う議論を知れたのはいいことだった。

読了直後の感想

読んでみての感想

この本のいいところは、政治的な物語を新しく作り直そうとしているところだと思う。従来の左派のナラティブが抱えていた矛盾を指摘して、それを乗り越える新しい考え方を提示している。

左派に関してもそういう印象もあって、平等とか公正など重要な価値を重く見ているけど、現実のプレイヤーのロジックには乗れないという感覚もあったので、こういう議論をもっと見ていきたいという感じがする。

昔に読んだJonathan Haidtの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』8で、左派のほうが考慮事項が少ないという話があった。それとは直接関係ないかもしれないが、これまで右派しか取り上げてこなかった問題について、それを重要視する人たちが右派に流れてしまっているような状況があるのだろう。そこに対して、ようやく左派の側からもアプローチしていく立場が出てきたというのは、建設的でいい話だと思った。

Footnotes

  1. たとえばPeter Thiel(PayPal創設者、投資家)など、シリコンバレーの起業家でありながら保守的な政治思想を持ち、一般向けにも発信している人物。

  2. Ezra Klein:ニューヨーク・タイムズのコラムニスト。政治評論家として著名で、特にアメリカ政治の分析に長けている。NYタイムズコラム

  3. Derek Thompson:アトランティック誌のスタッフライター。経済・社会問題を専門とするジャーナリスト。The Atlantic著者ページ

  4. Klein, Ezra & Thompson, Derek (2025) Abundance: How Progressives Can Win Back the Politics of Prosperity, Avid Reader Press. Amazonで見る

  5. The Conversation (2025) “Can a book help the left rebuild the good life? Ezra Klein’s Abundance is the talk of Washington and Canberra”, The Conversation. 記事を読む

  6. Blue state:アメリカで民主党が強い州を指す政治用語。一般的に都市部が多く、リベラルな政策を支持する傾向がある。

  7. Post-Neoliberal Era:新自由主義時代の終焉後の政治・経済秩序を指す概念。2010年代以降の政治的変化を説明する枠組み。

  8. Haidt, Jonathan (2012) 『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』(原題:The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion)、紀伊國屋書店. Amazonで見る

関連記事

カテゴリー

タグ