飽き性の頭の中

ブロガーとは名乗りたくないがそれでもブログを書く理由

ブロガーとは名乗りたくないがそれでもブログを書く理由

tawachan
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こんにちは、たわです。今回は僕がブログを書く理由について書きます。

昨今ブロガーというとアフィリエイト目的の胡散臭い情報を垂れ流す何かというイメージが一部でついてしまい、だいぶスティグマ化されている節があります。ちょうど note の利用規約変更あたりで Twitter でも話題ですが、情報商材屋などとも密結合な界隈でとても辟易しているわけです。

なのでブログを書いているととてもいいづらいし、それとは何が違うのかをちゃんと自分なりにはっきりさせておきたいな、という気持ちがあってこの記事を書き始めております。

ブログは自分の歴史

ブログは基本的に自分の考えたことや感じたことの記録として使っています。書いている当時は別に何も特別なことでもない些細な事かもしれないけれど、後から振り返ると面白かったりします。

今は 2020 年ですが、2016 年の記事を見ると文体も結構違うし、考えていることのジャンルも結構違ったりします。当時そんな事考えてたんだぁとか思い返せるので地味な資産だなと思っています。

ブログを書き始めた 2016 年当初は学生だったので、学問チックな内容が多い感じがしています。

記録するだけなら、プライベートなメモに書いておけばいいとも思いますが、やっぱり誰かに見てほしいのと、見られると思うとちゃんとまとめるのでブログという形にしています(未来の自分は他人なので、他人にも分かるようにちゃんと書いておかないときっと記録にならない…)。。

最近は Web 開発の話と福岡の話が多い気もします。数年後に見たらまた印象が違うんでしょうね。

感情・経験・考えを整理する

ブログという媒体は論文とは性質が異なりとてもゆるい文章だと思っています。なので、専門的な客観的な緻密な議論には向いていません。

では、ブログは何が向いているのか。

それは、感情や経験、そのときの考えといった主観的な事柄の発信に向いていると思うのです。なので、生の主観をできる限り言語化して、文字情報としてとどめておきたい、それが自分の歴史の記録になる、そして誰かに読まれたときにも何らかの価値になる、そう思っています。

客観的な状況には、正誤があります。だから新型コロナウィルスの話など専門性が問われる話にむやみに根拠のない言説をブログで展開してしまうのは悪なのです。ブログではやらないほうがいいことです。単にネット上のデータ汚染でしかありません。

ですが、主観的なものに正誤はありません。たとえば、とある人気店のお菓子でも僕にとって好みでなければ、その経験は僕にとっては正しいし、マジョリティと違ったとしてもそうした感想を持った人が世の中にいることが分かる意味で、公開情報として多少価値もあるでしょう。

単なる情報まとめはやらない

実体験として情報を整理するのはやりたいと思いますが、実際に体験もしたことないのに、単にネット上の情報をまとめて発信するというのはやりません。

アフィリエイト文脈で、まったく自分では興味ないし使いもしないのにさも知ったふうにまとめ記事を書く人がいるとは思いますが、データ汚染でしかないと思うのでやりたくない。

あわよくばブログでお金がもらえたら嬉しいとは思いますし、実際によいなと思った商品の話をしたときとかはアフィリエイトのリンク貼らせてもらっていますが、情報に対しては誠実でありたいと思っています。

まとまった文章を書く場所としてのブログ

ブログは個人が情報発信していくことができるとてもいいツールだと思います。Twitter で発信することもできますが、文字制限があるので、ある程度整理された情報を言語化して伝えるのはブログのほうが優れていると思います。

加えて、同じページ内の記事という形で情報が貯まるので自分が書き溜めた文章としての資産がわかりやすく残ります。こうしたところに価値があると思っています。

ブロガーという言葉がスティグマ化されてもなお、自分の経験したことを言語化して整理してためておく場所としてはやっぱりブログが優秀だと思っているのです。だからやっているのです。note でもいいんですが、見た目が変えられるのと markdown で書きたいので昔からずっとはてなブログでやっています。

まとめ

2016 年ブログを始めた当初はまだはてなブログ界隈が機能していて、比較的純粋に何かを発信するという時代があったような気がしますが、最近はあまり目にしないというか、僕の Twitter のタイムラインでは純粋なブログを書く人たちの界隈にたどり着けていないだけなのでしょう。

にほんブログ村を見るとひたすら食べた福岡飯を更新しているブログとかあってとてもほっこりするので、このあたりのブログをたまに眺めたりしています。

何はともあれ、ブログというものは優れた情報発信ツールであり、情弱をカモにするツールでは元来まったくないわけです。そうしたのは気にせず粛々と書きたいことを書けば別にそれでいいのですが、単にやりづらいので大変だな、という話でした。

これからもマイペースに思ったことを言語化していく場所にするので、気が向いたときに見てもらえるようなブログになれば嬉しいです。