飽き性の頭の中

仕事を辞めて通った大学院の修士課程(政治学)が実質終わったので所感を書く

仕事を辞めて通った大学院の修士課程(政治学)が実質終わったので所感を書く

tawachan
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2021 年 4 月に社会人を経て政治学専攻の修士課程に入学した。

仕事はソフトウェア開発をしており、それとはまったく関係がない政治理論の研究をした。IT と政治理論を結びつけるようなテーマを中心に行った。

そして、2023 年 1 月になんとか修士論文の提出 & 答弁を終えた。

その結果はまだ返ってきていないが、流石に落第することはないと信じて、実質終わったことという気持ちでいる(これで落ちたらだいぶ凹む)。

ということで、実際に大学院に進学してみても率直な感想をとりあえず並べてみる(いずれ体系的にまとめるかもしれない)。

大学院進学前と後の違い

まずは、大学院進学をする前に抱いていたイメージと実際に通ってみての違いについて考えてみる。

個人プレー

大学院進学前は、もう少しゼミや研究室などのメンバーと率直なコミュニケーションを交わしながら研究を進められるものと思っていた。

しかし、実際にはほとんど個人プレーであったので、その点ではけっこう大変であったように思う。

もちろん、大学院や研究室によっても大きく異なるであろうが、おそらく新型コロナウイルスの影響で、オンラインベースで講義やゼミが行われたのもあり、非公式のコミュニケーションが生まれづらい環境になってしまったというのもあったと思う。

それであっても、自分の行動次第では、いくらでも環境を作ることはできたであろうが、そこまで積極的にはできなかった。

そうでなかったとしても、同じ専攻の中でも研究テーマによって実際に関心や詳しいことはバラバラであるので、自分のテーマに直接関係あることを知っている人はいないものである。

そのため、研究の進め方など方法についてはアドバイスはもらえるかもしれないが、研究テーマの内容そのものについては結局自分で向き合うしかないので、本質的に個人プレーにならざるを得ない性質のものでもあるように思った。

このあたりは、当初のイメージとは少し違うと感じたところである。

※ 幸い、同級生の中で数人気があった人たちと結構序盤に Discord を作り、そこでオンラインで読書会をしたり、ざっくばらんに雑談をする仲間はいたので、充実したコミュニケーションを持つことはできた。年次を超えたところまで発展できたらなおよかった。

書くことは難しい

講義も含めて、研究をインプットすることは存外大変なものである。特に自分は学部のときの専攻とは違うものを専攻したので、基本的なインプットも適切に補う必要があった。

しかし、それらを踏まえてアウトプットすることには、さらに質的には異なる困難さがあることが身を持ってわかった。

インプットを整理して、ある程度議論の方向性がイメージできたとしても、それを文章として組み上げることは想像以上に困難を極めた。

一時期は、ある程度論旨の構成を箇条書きや図では書いてみたものの、全然文字が書けない時期もあった。一文書くと、その分が適切な文章ではなかったり、表現が不正確な気がして、なかなか書き進められないという感じである。

まだざっくりとした構成の段階では捨象できてしまっていたものに、文字にするときには対峙しなければならず、そのときに理解が曖昧だった箇所が露呈するという感じだったかもしれない。

ただ、最初から緻密な文章をかけるはずもないので、とりあえず荒くてもいいから書いてみて、あとから考えるくらいがちょうどいいという感覚も多少得られた。

論文を大量生産している研究者は本当にすごい。

修士論文でかけることは高が知れている

入試の段階での研究計画書とかでは、結構大層なことを書いた気がする。

しかし、具体的に研究を進めていくほどに、そんなことが論証できるわけがない、ということに気が付く。

おそらく修士であっても学部でも同じ専攻であった人であれば、研究のサイズ感がわかっているはずなのでギャップを感じることはないと思うが、夢を大きく抱きすぎる問題が少々あった節はある。

ジャーナルに載せられるような研究をするのであれば、狭く深いものにする必要があったのだろうが、少々大きく抱きすぎた夢に引きづられて広く浅い修論になってしまったように思っている。

フィードバックでは、議論を最低限絞ったので結論にも無理がない、という感じだったので、ぎりぎりそのあたりは収まったと信じたい。

いずれにせよ、関心のある問いに十分な回答を出すためには、まだまだ論証すべきことが山積みだし、修論で網羅できたことは本当に僅かでしかない、という感覚を得た。

行ってみての所感

研究をするほんの入り口がわかった

結論から述べれば、行ってよかったと思う。

大学院に来なければ、政治理論についてまとまった時間を使うこともなかっただろうし、研究をすすめることもできなかったであろう。

政治理論は、思想史や哲学とも関わるのでかなり理解するだけでも難解であり、同様の関心をもつ仲間がいなければ取り組むのがかなり難しいと思う。少なくとも研究のご作法をある程度理解し自走できるまでにならないと難しいであろう。

自走できるようにまでなったかといわれれば怪しいが、ある程度自分で研究を広げていく取っ掛かりをもつには至れたと思う。読書会できる仲間もできたし、今後も少しずつ研究を進めていけると思う。

キャリアへのメリット

専門は仕事とは関係ないし、修士後の仕事には直接関係はないと思う。

しかし、転職活動をしたりする中でも間接的にメリットがあったような印象を受ける。

分野は何であれ、修士に過去に行ったことがある人やアカデミアに接点のある人に前向きに見てもらえる。

社会人を経て大学院に行ったという異質さ(奇を衒った感じなのは嫌だが)もあってか、興味を持ってもらえるし、そこで経緯を話すと面白がってもらえる。

修士課程を経て、理路整然とある程度話せることが前提となろうが、ある程度信頼されているという印象を受けた。

あとは、将来どのように活かせるかはわからないかもしれないが、仕事の専門とは別の軸を持っていることは、今後を考える際の手札が単純に増えたということなので、人生の幅が広がったような気がする。

その意味でも、人生の面白さが増えたかもしれない。今後どのように活かしうるのか楽しみである。

まとめ

とりあえず、思いつきで文章をしたためてみた。

改めて、関心別など問いに答える形で体系的に記事にまとめてみたいと思う。

それは、修士課程を修了できることが確定してからにしようと思う。

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