今回は、1人の男として日頃から感じている生きづらさみたいなものを書いていきたいと思います。
【男女平等】が謳われている今日ですが、
どうも女性優位であって男性は蔑ろにされている節があるようにも思います。
男尊女卑であった時代を考えれば、
それくらい過度にやるくらいが全体としてちょうどいいのかもしれませんが、
それでもやはり違和感を覚えるところがあります。
男女平等ってすばらしい!
これは僕自信も本心でそう思います。
女性の社会進出も叫ばれ、
社会的な扱いが徐々に平等になりつつあります。
『女性もバリバリ働ける!』
『女性も社会で活躍できる!』
こうした選択肢が性別にかかわらず広まることはよいことだと思います。
『女は家庭に引っ込んでろ、女は男に口出しするな』
なんていうのがまかり通ってた(のかは知りませんが)ような時代を考えると、
こうなっていくことは間違いなく進歩です。
仕事をするのも家庭に入るのも個人の自由です。
働きたい女性が妨げられていていい理由はないはずです。
女性は家庭も充実! 仕事も充実!
より一層輝きのある人生が目指されています。いいですね。
ですので、女性は現状として、家庭に入っても良し(所得が許せば)、
途中まで働いても良し、バリバリ勤めあげてもよし、
幅広い人生設計が待っているのではないでしょうか。
では、一方の男性は…?
男はバリバリ働く一択!
むしろイクメンとかいって仕事は当たり前として、家事もある。
選択肢が増えるというよりかは、やらなければならないことが拡大しているような。
ここで少し違和感。
男女平等の名の下に女性の社会進出が叫ばれ、
働くこともできるしこれまで男性を支えるような立場でもいい。
でも男性は働かないといけないし、世間的に家事育児もやるのが当たり前。
そこに少し不平等を感じるのです。
仕事に勤しまない男性像は社会的には認められていませんから。
女性の社会進出に潜む男女不平等
女性の社会進出、男女平等を盾にして、
好き放題言っている人がいるようにも思います。
今や世間的には、絶対に批判できない防御壁のようになっているがゆえに、
これを根拠にされると説得力があるようにも見えます。
そうであるならば、女性が男性を経済的に支え、
男性が家庭を支えるという選択肢もナチュラルに存在してもいいはずです。
女性が尊重されていればすべて正しいわけでも正義の側でもあるわけではありません。
しかし、「それはおかしい」と声を上げてみれば、
女性蔑視だと言いかねない世論な気もします。
性別に関係なく平等であることは極めて重要ですが、
それは女性を尊重すれば達成されるわけではありません。
平等とは何か
平等には色々な考え方があります。
みんながおんなじ選択肢を持っていれば平等とする【機会の平等】という考え方もあれば、
みんながおんなじ仕事や物、お金を持っていれば平等とする【結果の平等】という考え方もあります。
そもそもなんの意味で平等なのか、なぜ平等が大事なのか。
どのような意味なのかもわからず、【男女平等】という言葉が無条件で正しいという認識が広まっていることには、やはり違和感が残ります。
こうしたポイントをちゃんと見つめた上で、考えられていくとよいなと思います。