飽き性の頭の中

日本の民主主義ってどうなってるの?『保育園落ちた日本死ね!!!』を見て感じたこと

日本の民主主義ってどうなってるの?『保育園落ちた日本死ね!!!』を見て感じたこと

tawachan
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こんにちは。

今回は、「保育園落ちた日本死ね! ! !」から、「#保育園落ちたの私だ」までの一連の出来事を見て感じたことを述べたいと思います。

はじめに

結論から先に申しますと、この一連の動きに民主主義の可能性を見たということになります。その理由をここに書くことで、みなさんからのご意見を聞かせていただいと思った次第です。

民主主義と言いますと、「民主主義/立憲主義を取り戻す」反対の声を上げている SEALDs が思い出されるかもしれません。しかし、民主主義の営みを促すのは SEALDs ではなく、この「保育園落ちた日本死ね! ! !」 のような市民の自発的な行動にこそあると考えています。

【私が SEALDs に賛同できない理由はこちら】

「保育園落ちた日本死ね! ! !」とは

ほとんどの人が知るところであると思うので、多くは語りません。

この匿名ブログが共感を呼び拡散され、さらにはニュースや国会にまで広く取り上げられることとなった一連の出来事です。こうした個人の声をたまたまマスメディアが取り上げたのではなく、個人(市民)の側から拡散され多くの人が知るところとなったのが印象的でした1

しかし、国会での答弁にて、安倍首相が行った「このブログが匿名であり事実の確かめようがない」という発言に対して、その事実を知らせるべく、当事者が国会前での無言の抗議行動や、Twitter での表明が行われました。

さらには、保育サービスの供給側、つまり保育士側からの訴えも同時に起こっています。

この動きに見る新たな民主主義の形

この動きに、熟議民主主義の可能性を私は感じました。なぜなら、事の始まりはかなり過激なタイトルを付けたブログでしたが、その後、事実や数字に基づく意見の表明が続けられているからです。

また、それに呼応するかのように発せられた数々の意見の多くは、無秩序で一方的な主張ではまったくありません。ただ苦しいという感情だけでなく、直面している/した状況の詳細や、なぜそれが不当であるのかについて客観的な理由を上げ、説得的に主張しています。中には、ただ声を荒げるだけでは意味が無いので、数字を整理して公表している ツイート も散見されました。

つまり、これらは単なる欲望の主張ではありません。これらは、”理由付け”の行われた紛れも無い市民一人ひとりの【意見】なのではないでしょうか。さらには、ブログや国会答弁での発言に応える形で表されたものであり、ここに 【対話】が成立しているようにも思います。

政治的主張を行ったという点では、SEALDs と同じかもしれません。しかし、【その主張に理由が付与されている】という点で大きく異なると思っています。一方的に要求を押し付けて、声の大きさで押し切ろうというのは傲慢な主張にほかなりません。建設的な議論・対話なんてものは生まれないと思います。理由を付与した主張(=意見)だからこそ、その意見の妥当性を判断し、応答できるのではないでしょうか。

まとめ

この一件を受けて、意見を表明しているのは、この問題の当事者がほとんどでしょう。彼らは、これを一過性のイベントに留めず、社会の改善のために真剣に取り組んでいるように見えます。茶化しやヤジも見られますが、多くの意見も見られます。建設的な議論をしようと、普段は見ない国会中継を見たり、データを確認したりしているようです。

しかし、これだけでは不十分だと思います。これは当事者の問題であることは間違いないのですが、等しく非当事者の問題でもあるでしょう。ソーシャルメディアの発達で、意見を表明することのハードルは下がりました。そうしたささやかな1つ1つの意見表明が、こうした大きな動きを形作ったのだと思います。ですので、自分の直接的に関係のない問題であっても、何か違和感を感じる記事があったならば、ささやかな意見を理由とともに表明してみては如何でしょうか。同意できる意見があったならば、やはり理由を付けてサポートしてみてはどうでしょうか。

自分の意見を表明することは難しく、また怖いことでもあると思います。しかし、今回の問題に限らず、何かを感じたら、意見を言ってみる。無視を決め込むのではなく、ちょっと 140 字だけ ツイート してみる。それだけでも、政治は大きく変わるのではないでしょうか。

声が大きいだけの理由のない一方的な主張ではなく、理由が付与された個々のささやかなつぶやきこそが政治を変え得ると思います。これが私の意見です。

Footnotes

  1. 以前にも【個人 → メディア】といった流れはあったのかもしれませんが、今回のこうした動きに感動しました。

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